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九州大学大学院芸術工学府
密岡 稜大    土肥 真維華

依代(よりしろ)とは、神や精霊が宿ることができるモノのことを指し、古くから日本では万物が依代であるとされています。
50年以上前に芸術工学という学問が生まれて以来、合理主義且つ機能主義な人間中心のデザインに焦点が当てられてきました。 しかし、昨今の新型コロナウイルス感染症によって人間がウイルスに半ば支配され翻弄されているところを見ると、もはや人間だけが中心なのではなく、あらゆるモノが中心になり得ることを意識させられます。 そこで今、改めて人間中心のデザインを見つめ直し、人間以外のモノもその存在が中心となり得るという考えを「依代」という言葉に込めて表現しました。この作品では、モノも中心になり得るという意識を促すアプローチの例を3つ提案します。

モノに精霊がうつる

キーワードである「依代」は、「憑り代(よりしろ)」とも書かれます。つまり、依代とは神や精霊がのり憑る存在ということです。モノへ精霊がのり憑るという視点から、これからの芸術工学を考えます。

アニマシーによる依代のデザイン

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「アニマシー」とは、生物らしさのことであり、対象は生物でなくても使われます。このアプローチでは、本来動くことのないモノにアニマシーを感じる動きを付加しています。これによってそのモノ自体が生き物であるかのように感じさせ、モノが中心になり得ることを示唆しています。

人の行動をコントロールすることによる依代のデザイン

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このアプローチでは、初めからフチの欠けているコップを例に挙げています。コップが欠けてしまったら、普通は捨てよう、買い替えようと思うかもしれません。そのような思考自体が人間中心的な考えであることに気づかされます。 さらに、欠けたコップで飲料を飲もうとするとき、自然と欠けていない部分を飲み口にしようとするでしょう。この行動によってモノが人間をコントロールし、中心となることに気づかせます。

自然の影響を受けることによる依代のデザイン

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人間は普段、自然をうまくコントロールして生活しています。しかし人間の思い通りにならないこともあります。その時人間は、自分たち人間が中心である以上に、自然の一部の存在に過ぎないことを自覚します。 このアプローチでは、自然現象(例として雨)の影響により、モノが人間に不都合な状態に変化することで間接的に人間が中心ではないことを意識させています。

profile

密岡 稜大

みつおか りょうた

九州大学大学院 芸術工学府
芸術工学専攻 修士2年

profile

土肥 真維華

どい まいか

九州大学大学院 芸術工学府
デザインストラテジー専攻 修士1年

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コメント()
糸目華
感想ありがとうございます。 今回私は、テーマを「映る」として制作にあたりました。テキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテ
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